網野善彦 5 Replies 近代から古代まで遡り、駆込寺や楽市など多様な領域に、人間の本源的自由に淵源する無縁の原理の展開をよみとる。 無縁・公界・楽 不入権; 地子・諸役免除; 自由通行権の保障; 平和領域、平和な集団; 私的隷属からの解放; 貸借関係の消滅; 連坐制の否定; 老若の組織。 無主・無縁の人びと 海民; 山民; 鍛冶・鋳物師; 楽人・舞人・獅子舞・遊女・白拍子; 陰陽師・医師・歌人; 博奕打・囲碁打; 巫女・勧進聖・説教師; 商人・交易人; そのほか非農業民。
shinichi Post author07/04/2014 at 10:58 am ymsk2002の日記(読書) http://d.hatena.ne.jp/ymsk2002/comment?date=20090611 「エンガチョ」という遊びがあるが、これは日本社会の持つ縁切りの原理、ひいては人間の心と社会の深奥にふれる意味を持っている。 江戸時代、女性には離婚権がなかった。しかし縁切寺への駆け込みにより、夫は妻に手を出すことはできなくなり、三年間比丘尼として勤め、奉公すれば縁は切れ離婚の効果が生じた。 縁切寺は「自由」な場であるが、内部での階層、戒律などが厳しい場所でもあった。縁を切るという「自由」は、西欧の自由とは異なるものである。 遍歴する「芸能」民、市場、寺社の門前、そして一揆、これらはみな無縁の原理と深い関係を持っている。 中世、遍歴する「職人」のなかには、関渡津泊(関所)の自由通行を認められ、津料などの交通税免除の特権を保証されている人々が多く見いだされる。 こうした原理は、戦国大名の専制支配の原理とは本質的に対立するものであった。 すべての寺が無縁所であったわけではなく、大名などの縁につながり、その保護・支配の下におかれる寺もあった。 戦国時代は、無縁所が公界寺と呼ばれることもあった。弁財天で有名な相模の江嶋は、戦国時代の公界所だった。江嶋は平和領域であることを保証され、また主を持つことを許されなかった。 堺や博多は自治都市であったが、無縁の原理に基づいた特権を安堵されていた。 専制的な支配体制の確立を目指す権力にとって、一向一揆と寺内町は最大の障害物であった。 「太子」とも言われる「渡り」たち、漂泊・遍歴する海民、山民、商工業者を一向一揆の主軸であるとする主張を完成することなく世を去った井上鋭夫氏の研究は、一向一揆と公界者の切り離しがたい関係を示唆するものである。また、一向一揆と寺内町には、「公界」「無縁」の原理が強靭な生命力をもって働いていた。 「楽」という言葉がある。戦国大名による上からの楽市楽座ではなく、自由な取引が行われる津や湊である。「楽」は「公界」「無縁」と同じ原理でつながっており、これは「エンガチョ」の原理と同じである。 無縁・公界・楽の原理は、1.不入権、2.地子・諸役免除、3.自由通行権の保証、4.平和領域、5.私的隷属からの解放、6.貸借関係の消滅、7.連座制の否定、8.老若の組織、である。 中世前期は、山林が無縁所、アジールとしての性格を持っていた。無縁の原理は、神仏の支配する地、聖なる場、無主の地として現れてくる。 葬送に携わる非人、遊女、遊行する上人(一遍)、職人、鉱山技師なども無縁の原理を持つ。 Reply ↓
shinichi Post author07/04/2014 at 11:59 am 歴史ちょっとだけ http://ww2.tiki.ne.jp/~h-hidaka/newpage27.htm 中央は常に保守であり、革新は辺境にあらわれる Reply ↓
shinichi Post author07/04/2014 at 12:03 pm DESIGN IT! w/LOVE http://gitanez.seesaa.net/article/112873306.html 江嶋の人々は、主をもつことを許されなかった。つまり、逆にいえば、江嶋中の者は、主従の縁の切れた人々だったのである。それ故、外部の争い、戦闘と関わりなく、平和を維持することができたのであった。まさしく、江嶋は「無縁」の場だったのであり、「公界所」という言葉は、この場合も、「無縁所」と同じ意味、同じ原理を表現している。 堺は結局、信長の脅迫に屈し、妥協の道をえらび、あたかも多くの「無縁所」が、大名の権力を背景にその特権を保ったように、信長の庇護の下で、「自由」と「平和」を保つ方向に進んだ。それ故、信長の支配下に入ってからも、堺の「公界」としての本質が消え去ったわけでは、決してない。 Reply ↓
shinichi Post author07/04/2014 at 12:42 pm (sk) この本の後半の三分の一が補注。しかもその殆どが「この本の内容に対する批判」への返答。律義というかなんというか。 批判されればされるほど、価値が増していく。 実際、無主、無縁、自由などなど、いろいろ考えさせられる。西洋の自由、そして日本の自由。。。 縁切り寺に駆け込めば自由が得られるかといえば、そうではない。そこには規律とか階層とかが待ち受けているのだ。縁を切る事で得る自由と、新しく属したところでの不自由。なんともいえない。 夫婦の縁、主従の縁、貸借関係の縁、刑罰の掟などといったものから逃れて得る居場所は、決して天国ではない。現実は厳しい。 Reply ↓
無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和
by 網野善彦
ymsk2002の日記(読書)
http://d.hatena.ne.jp/ymsk2002/comment?date=20090611
「エンガチョ」という遊びがあるが、これは日本社会の持つ縁切りの原理、ひいては人間の心と社会の深奥にふれる意味を持っている。
江戸時代、女性には離婚権がなかった。しかし縁切寺への駆け込みにより、夫は妻に手を出すことはできなくなり、三年間比丘尼として勤め、奉公すれば縁は切れ離婚の効果が生じた。
縁切寺は「自由」な場であるが、内部での階層、戒律などが厳しい場所でもあった。縁を切るという「自由」は、西欧の自由とは異なるものである。
遍歴する「芸能」民、市場、寺社の門前、そして一揆、これらはみな無縁の原理と深い関係を持っている。
中世、遍歴する「職人」のなかには、関渡津泊(関所)の自由通行を認められ、津料などの交通税免除の特権を保証されている人々が多く見いだされる。
こうした原理は、戦国大名の専制支配の原理とは本質的に対立するものであった。
すべての寺が無縁所であったわけではなく、大名などの縁につながり、その保護・支配の下におかれる寺もあった。
戦国時代は、無縁所が公界寺と呼ばれることもあった。弁財天で有名な相模の江嶋は、戦国時代の公界所だった。江嶋は平和領域であることを保証され、また主を持つことを許されなかった。
堺や博多は自治都市であったが、無縁の原理に基づいた特権を安堵されていた。
専制的な支配体制の確立を目指す権力にとって、一向一揆と寺内町は最大の障害物であった。
「太子」とも言われる「渡り」たち、漂泊・遍歴する海民、山民、商工業者を一向一揆の主軸であるとする主張を完成することなく世を去った井上鋭夫氏の研究は、一向一揆と公界者の切り離しがたい関係を示唆するものである。また、一向一揆と寺内町には、「公界」「無縁」の原理が強靭な生命力をもって働いていた。
「楽」という言葉がある。戦国大名による上からの楽市楽座ではなく、自由な取引が行われる津や湊である。「楽」は「公界」「無縁」と同じ原理でつながっており、これは「エンガチョ」の原理と同じである。
無縁・公界・楽の原理は、1.不入権、2.地子・諸役免除、3.自由通行権の保証、4.平和領域、5.私的隷属からの解放、6.貸借関係の消滅、7.連座制の否定、8.老若の組織、である。
中世前期は、山林が無縁所、アジールとしての性格を持っていた。無縁の原理は、神仏の支配する地、聖なる場、無主の地として現れてくる。
葬送に携わる非人、遊女、遊行する上人(一遍)、職人、鉱山技師なども無縁の原理を持つ。
歴史ちょっとだけ
http://ww2.tiki.ne.jp/~h-hidaka/newpage27.htm
中央は常に保守であり、革新は辺境にあらわれる
DESIGN IT! w/LOVE
http://gitanez.seesaa.net/article/112873306.html
江嶋の人々は、主をもつことを許されなかった。つまり、逆にいえば、江嶋中の者は、主従の縁の切れた人々だったのである。それ故、外部の争い、戦闘と関わりなく、平和を維持することができたのであった。まさしく、江嶋は「無縁」の場だったのであり、「公界所」という言葉は、この場合も、「無縁所」と同じ意味、同じ原理を表現している。
堺は結局、信長の脅迫に屈し、妥協の道をえらび、あたかも多くの「無縁所」が、大名の権力を背景にその特権を保ったように、信長の庇護の下で、「自由」と「平和」を保つ方向に進んだ。それ故、信長の支配下に入ってからも、堺の「公界」としての本質が消え去ったわけでは、決してない。
(sk)
この本の後半の三分の一が補注。しかもその殆どが「この本の内容に対する批判」への返答。律義というかなんというか。
批判されればされるほど、価値が増していく。
実際、無主、無縁、自由などなど、いろいろ考えさせられる。西洋の自由、そして日本の自由。。。
縁切り寺に駆け込めば自由が得られるかといえば、そうではない。そこには規律とか階層とかが待ち受けているのだ。縁を切る事で得る自由と、新しく属したところでの不自由。なんともいえない。
夫婦の縁、主従の縁、貸借関係の縁、刑罰の掟などといったものから逃れて得る居場所は、決して天国ではない。現実は厳しい。